コラム

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第19回 親鸞聖人と散骨 (散骨について・上)

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『改邪鈔』という書物によれば、浄土真宗の開祖・親鸞聖人は
死後遺体は京都の加茂川に流してほしいと語っていたそうです。
「川の魚に食べてもらえばいい」と。

それも、散骨のひとつの形といえるでしょう。

親鸞聖人は、盛大な葬儀や立派なお墓は必要ないとおっしゃいました。
親鸞聖人には大勢のお弟子さんがいましたが、
みな仏さまの弟子であり、私の弟子ではないと語るほど
己を特別視されたり、カリスマ化されることを嫌っておられました。

結果的に親鸞聖人のご遺体が加茂川に流されることはありませんでしたが、
最後に人は大自然の一部に戻っていき、
その心はお浄土に還っていくことを示されようとしたのではなかと思います。

散骨とは、火葬したあとの遺骨を粉末状にして海や空、山などに撒く葬送です。
火葬、土葬、水葬、風葬などが一次的な葬送と考えれば、
散骨は二次的葬送といえるかもしれません。

沖縄では戦前まで続いていた〝洗骨〟という風習がありました。
一度、土葬した遺体を一定期間後に掘り起こして、
親族の女たちが骨を水や酒で洗って再び埋葬していました。

洗骨する前の遺体は穢れているという信仰があったといいます。
洗骨も、二次的な葬送といえるでしょう。

洗骨や散骨のように何度も供養するというスタイルの根本には、
日本人が持っていた死者に対する畏敬の念があったように思います。

いえ、日本人だけではありません。
亡き方を何度も繰り返し、供養するという慣習は世界のあちこちに残っています。

亡き方の思い入れの深い土地に遺骨を撒く……。
亡くなった方が生前、遺言やエンディングノートに残しておく場合もありますし、
ご遺族が故人の思いをくんで行うケースもあるでしょう。

散骨は、残されたご遺族が、故人の思いを叶えるという意味では、
とてもいい弔い方だな、と思うのです。

取材・構成/山川徹

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