【鈴木先生から】( 二〇二五年八月十二日)
町屋光明寺はもとより浄土真宗のお寺には「お守り」がありません。
お守りにあるような、「合格祈願」や「心願成就」という個人の利益や目先の良し悪しを願うことは、
ひとときの安心を得られるかも知れませんが、かえって苦しみの原因である仏教用語でいう「煩悩」を煽るものになりかねません。
お釈迦様は、欲や煩悩が苦しみや迷いの原因であることを発見し、
その苦しみや迷いから抜け出す方法を様々な例え話や方便を使って教え伝えました。
私が仏教を学び始めた当初は、お守りを販売している寺院を見るにつけ、この矛盾に抵抗を感じました。しかし、家族が病気になった時などはやはりお願いはしてしまうもの。
これは心情であり凡夫である私たちは生きている以上、欲や煩悩は無くすことは出来ません。
無くならないことを前提にどうしたら安心して幸福に生きられるのか?
浄土真宗においては阿弥陀仏によって救われると考えるため、自力で何かを求めるお守りやお札は必要ないと考えられています。
つまり、仏さまには「おねがい」ではなく「おまかせ」するという教えになります。