東京御廟 町屋光明寺

コラム

令和四年九月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》

令和四年九月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》

令和4年 9月3日(土)午前10時より、町屋光明寺本堂において令和四年九月の祥月命日講を厳修いたしましたことをご報告申し上げます。

多くのご供養のお申込みを賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。
 
合掌



 


九月の法話

 本日は、ようこそ、お寺に足をお運びくださいました。また、オンラインでお参りいただいている皆さまにおかれましてもご大儀さまでございます。
9月の祥月命日講をねんごろにお勤めさせていただきました。
お疲れのこととは存じますが、せっかくのご仏縁の機会でございますので、少々お話をさせていただきます。

 仏教では、人が亡くなることを、「往生する」と申します。「往生」は「往って生まれる」と書きます。それでは、どちらに行かれるのか?
それは極楽浄土。極楽浄土は、阿弥陀さまがすべての衆生、生きとし生けるものを救いたいと願い、つくられたお浄土で、いろいろなお浄土がある中で阿弥陀さまの極楽浄土は、その中でも最もすばらしいお浄土であるとさきほどおとなえしました『阿弥陀経』にも説かれています。
浄土真宗の宗祖の親鸞聖人は、決して「死ぬ」という言葉をお使いになりませんでした。親鸞聖人は、「生」から「往生」と極楽浄土へと続いていくことを説かれました。
故人さまは、極楽浄土に行かれて阿弥陀さまのお傍に生まれておられるのでございます。でも、極楽浄土に往って生まれて、それで終わりか、というと決してそうではありません。、極楽浄土には、ご先祖さまもおられます、生前ご縁のあった方々もおられます。阿弥陀さまのもと、ご先祖さまとともに、阿弥陀さまのお手伝い、つまり、みなさまを見守り、正しく導かれているのでございます。お釈迦さまも親鸞聖人もそのように説かれているのでございます。  
阿弥陀さま、故人さま、そしてご先祖さまに感謝させていただくのがご法要であり、ご仏縁の機会でございます。
では、故人さま、ご先祖さまが、どういうことを私たちに願っておられるのでしょうか?

 子供のとき、お父さま、お母さまから、「勉強しなさい、いい学校に入りなさい」とか言われた方もおられるのではないでしょうか、「お金持ちになりなさい」とか、しかしながら、極楽浄土におられるお父様、お母さま、あるいはご先祖さまが、そういったことを願われることはございません。
 それでは、私たちに何を願われるのでしょうか?

それは、私たちが「穏やかに生きる」こと、そのことを強く望まれているのです。
私たちが、生きていく日常ではさまざまなことが、起こります。過去のおこない、現世だけでなく、過去生での行いが業や縁として起こるとも仏教では説かれます。
 それらに煩わされないように「穏やかに生きる」ということが、私たちには大切であり、この「穏やかに生きる」ことが私たちの生きる目標、あるいは、「生きる」そのものであると、私は思います。

 「抜苦与楽」 抜苦=悲  ⇒ 「慈悲」 

仏教の根本の教えに、「抜苦与楽」があります。「抜苦」は 仏さまや菩薩さまが衆生の苦しみを取り除くことで、仏教の「悲」は、苦しみをとりのぞいてやろうとする、あわれみの心です。与楽は楽を与えることで、「極楽浄土」の「極楽」は、一切苦しみがなく、ただ楽しみばかりであるから、「極楽」なのであると説かれています。このことが「慈」であり、この「抜苦与楽」が仏教の「慈悲」なのです。
仏教は、仏さま、菩薩さまの慈悲の「抜苦与楽」で「穏やかに生きる」ことができる教えであり、阿弥陀さまも、故人さまもそしてご先祖さまも、私たちが穏やかに生きることを願い、そのために、いつも身守り、導かれているのですね。
 決して、私たちを苦しめようとか、高価な宝石や壺を買わないと悪いことを起こすというようなことは絶対にないのです。
 故人さま、ご先祖さまはいつも見守ってくださっています。
でも、私たちはどうでしょう?

たとえば、親子の間でも、親というのは、お子さまが、どこにいらしても、何をされていても、またいつになっても、気にかかるものですね。大丈夫かなあと声をかけたい。でもお子さまの方は、実はわたくしのところもそうなのですが、「余計こと、ほっといて」なのですが。でもちょっとひとこと「ありがとう」と言ってもらうとうれしいですよね。お子さまもお父さま、お母さまから「ありがとう」と言ってもらうとうれしいのです。
 阿弥陀さま、故人さま、ご先祖さまも、「ありがとう」の感謝に、ほんとうに喜ばれています。そのように、感謝する機会がこういったご法要なのですね。
 さきほど、「抜苦与楽」=慈悲とお話しました。この慈悲を直接、阿弥陀さま、ご先祖さま、故人さまから頂けるのが、お寺だと思います。お寺には本堂もあり、ご本尊さまもおられます。もちろん、お墓もございます。墓前では、故人さまを思い、また故人さまと語らえます。でも、隣のお墓の方のことはご存じないですよね。
でも、今、こうして、皆さまはお寺の本堂に集われ、阿弥陀さま、それぞれ故人さま、ご先祖さまの慈悲をいただいておられます。
 ぜひ、お寺に来られたときは墓所だけでなく、ご本堂に足をお運びいただき、ご本尊さま、ここのご本尊さまは阿弥陀さまですが、にもお手をあわせくださいますよう申し上げ本日の祥月命日のご法要を終わりたいと存じます。
 
 9月になりまして、また梅雨に戻ったような天候が続いております。また、新型コロナ感染もなかなか終息の気配もなく、不安な毎日でございますが、くれぐれもご自愛なさって、健やかに、そして穏やかにお過ごしいただくことを願っております。
 本日はご大儀さまでございました。

                  合掌

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