東京御廟 町屋光明寺

コラム

第12回 墓友が必要とされるわけ

墓友――という言葉をご存じでしょうか。

死後「一緒にお墓に入る友達」の略語です。
ちなみに〝ボユウ〟ではなく〝ハカトモ〟と読むそうです。

墓友も、終活のひとつの形といえるでしょう。

墓友が注目された背景には「子どもにお墓のことで負担をかけたくない」「親族がいない」
……という事情で広まっている共同墓の存在があります。

共同墓とは、墓石や石碑、供養塔などの地下などに、共同で骨壺を安置するお墓です。
合祀墓、集合墓などと呼ばれる場合もあります。

前回、終活を切り口にして、時代とともに葬儀の主役が家族から個人へ移行したのではないか、
というお話をさせていただきました。

私には、地域社会にあった人と人との繋がりを代替する存在が、墓友なのでは、と感じる瞬間があるのです。

墓友が話題に上るようになった四年ほど前。
納骨堂を運営する僧侶にこんな話を伺いました。

納骨堂を利用する方たちのグループができたそうです。

あらかじめ自分が入る為の納骨堂を購入していた彼らは写経だけではなく、
習い事をしたり、お茶を飲んだり、ときには旅行にも一緒に出かけるほどの仲になりました。

同じお墓に入るわけではありませんが、亡くなった後は同じ納骨堂にお入りになるわけです。 親近感がわいたのかもしれません。

向こう三軒両隣。
日頃親しく付き合っている自宅の向かいにある三軒と隣の二軒を指す言葉があります。

地方では、向こう三軒両隣は子どものころから気心が知れた幼なじみであり、
地域を支え合う隣組であり、あるいは同じ菩提寺に眠る〝墓友〟であるのかもしれません。

そんな高度経済成長以前までは当たり前に存在した人間関係はいまの都市には希薄になっています。
そんな人間関係を、同じ納骨堂を購入した〝墓友〟が担っているといったら考えすぎでしょうか。

取材・構成/山川徹

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