東京御廟 町屋光明寺

コラム

第14回 自然と寄り添う弔い方 ―― 樹木葬

いま、樹木葬が人気です。

四年ほど前から私たち光明寺が運営する京都の霊園「京都天が瀬メモリアル公園」でも
「桜下庭園樹木葬」というエリアを設けています。

従来の石のお墓に比べて、墓碑となる樹木はお寺が管理するので手間がかからない、 値段が手頃、個人で納骨できるなどが、樹木葬を選ぶ理由のようです。

もちろん内的な要因を口になさる方も大勢いらっしゃいます。
お墓――さらにいえば家にしばられたくないという気持ちや自然に還るというスタイルへの憧れ……。

樹木葬を新しい埋葬のあり方だと感じて希望する方が多いようです。
しかし振り返ってみると、樹木葬は、墓石を使うようになるもっと前、何百年も前から行われてきた埋葬の形なのです。

かつて亡くなった方は、集落の裏にある山に埋葬されました。
そこに墓標となる木を植えました。または目印になるような木の根元に埋葬しました。

私は、墓碑は石よりも樹木の方が仏教の本来の考え方に近いのではないか、と考えています。

石が現すのは、永遠。
石で作られたお墓は、末永く守らなければならない家制度を象徴する存在であるように感じます。

けれども、世の中のあらゆるものは生滅していく〝諸行無常〟が仏教の基本的な考え方です。
つまり永遠はありえないのです。

では、樹木葬はどうでしょう。

木の根元に埋葬された遺骨は、いずれ土に還り、
養分は墓碑である木に吸収されて、梢を伸ばし、葉を繁らせ、実を成します。

そして季節が移り変わると葉を散らして、実を落とし、鳥や獣、虫に食べられ、
排泄物として再び土に還ります。そのように自然の循環のなかに組み込まれていきます。

実態が特定されず常に変わり続けていく”無常”という仏教の概念そのものといえるでしょう。

高度経済成長以降、日本人は、自然から離れた生活を送るようになりました。
自然に寄り添う樹木葬に多くの人が憧れを抱くのは、その反動なのかもしれません。

取材・構成/山川徹

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